文系と理系

「仏教が好き」という河合隼雄と中沢新一の対談本を読んだ。そのタイトルがちょっと突き抜けちゃってる感じがするから、電車の中で読むのは少し恥ずかしくて、カバンで表紙を隠しながらコソコソと読んだ。言い訳になるけれど、子供が生まれてから読書のペースがぐっと落ちている。朝勉強を始めたのも、そう言う状況に慣れること危機感を感じてのことだ。読書もペース取り戻さないと。


危うい言い方だけれども、各個人がそれぞれの宗教を心にもっているのだと思う。それはつまり自分は××教を信じている、と言うことではなくって、無意識の部分を含めて生と死をどう捉えているか、他者との関係性についてどう考えているか、自然とは何か、考え方と呼ばれるようなことがつまり個々の宗教なのだと思う。言葉とは所詮そういうものだなと思うのは、それって宗教なんですよ、とかそれが女性の原理、男性の原理、とか言ってしまえば、そう定義できてしまうこと。その好例は仏教における輪廻転生を抜ける存在、これには名前が与えられていないという。そこに名前を与えた時点で、その存在は定義されてしまうことになる。


理系頭で言うならば、そこに人文系の学問の捉えにくいところがあって、こねくりまわしているだけ、という印象を受ける。言ってしまえば、ビジネス本とか自己啓発本の類もそうであって、本当に言いたいことは多分、紙一ページにもならないことじゃないかなと思う。テクニックは別であるけれども。そういうハスに構えた姿勢は実は重要だと思ってて、僕はビジネス本の類を読んだ時には、2つか3つくらい頭に残ればそれでいいのだと思っている。だから、すっ飛ばして読むことに抵抗がないし、本屋の立ち読みでパラパラめくるくらいで丁度いい。手軽だし簡単だ。


ただ宗教に関しては、一度身を置いてみないと分からないのかもしれない。ということはつまり、一生分からないのかもしれない。