What is your religion?

クウェートに来てから、「あなたの宗教は?」と聞かれたことが何回かある。そのたびに少し答えに窮するけれど、「Mixture of Shinto and Buddism」と答えるか、そういう答えがまずそうなときには、「Buddism」と答えるようにしている。

自分の宗教観を、簡単に説明することは出来ないだろうか?

僕には明らかに神道を信じる一面がある。子供のころに、父に「お風呂には水の神様がいる」と諭されたことを覚えている。数年前に「トイレの神様」と言う歌が流行ったけれども、その歌詞に何の疑問も無い。明治神宮が好きで、何かとあそこに行くけれど、あれは明治天皇が奉られている場所だ。特に深く考えず、「二拝二拍手一拝」を自然にする。じゃあ、明治天皇のことを考えているのか、と言うと、そうではない。ただ、「神様」を拝んでいる、ということだけだ。

一方で僕は仏教徒である。祖父、祖母は蓮花寺のお墓に眠っているけれども、その時には彼らを思い出すし、自然と手を合わせる。

日々の生活においては神道であるけれども、人の死に関する考えは仏教、と言う言い方になるのかもしれない。

じゃあ、神を信じるか、と言われれば、信じると答える。

今、「コーラン」の日本語訳を読んでいるけれど、すんなり入ってくる面もある。「科学的根拠に反する」なんてことを言わずに、「神が世界の上にいる」ということは、問題なく受け入れられる。僕の中では「神」とは人格ではなくて、「存在」なのだと思う。だから、「一神教」と「多神教」の違いが、あまり実感としてない。「全てのものには神が宿っている」と言うのと、「神は全て見ている」と言うのは、僕の中では同義だ。

ジャックアタリは、レゴ宗教と呼んでいるけれども、好きなものを集めて作っている、と言う感覚は少し違う気がする。

私たちは、個人が好きなものをますます自由に選ぶ世界に向かいつつある。それは宗教にも当てはまる。現存する宗教を選んでもよいし、カトリックやプロテスタントやイスラム教、仏教の小さな断片を集めて個人的な宗教を作ってもよい。それを私は「レゴ宗教」と呼ぶが、二つ意味がある。一つは小さな断片で組み立てる、おもちゃのレゴブロックで、自家製の宗教だ。もう一つは、L’ego(自我)宗教という意味だ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130303ddm002070087000c.html


というよりも、全て同じではないか、と思う。なぜなら、全ての宗教は「よりよく生きる」と言うのが根本にあると思うから。基本的なこと、例えば人に優しくとか、正直にとか、については、どの宗教も僕が知る限りは否定していない。だから、それでいいのだ、と思う。

でも、これでは何も説明できていない。
 "I believe in God"
とでも言えばよいのだろうか。それじゃ、逆撫でするかもしれない。でも、それ以上に言いようが無いかな。深く説明するとなったら、ここに書いたようなことをツラツラと説明するのだろうと思う。