ビジネス本を読むということ

クレジットカードを発行してもらう必要があって、銀行に出向いたのだけれども、その待ち時間に、ダラダラとスマホをいじっていて、以下のブログの記事に行き着いた。(クウェートって公共サービスは非効率的でストレスフルだったりするけれど、銀行のサービスは日本なんかよりずっと簡単でIT化も進んでいて、悪くないですよ)

眉間にしわを寄せるような大人に負けるな!(慶応SFC訪問記) - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

僕は以下の一文を読んで、考え込んでしまった。

やりたいことからやるべき。人生は短く、やりたいことは多い。10やりたいことがあったとしてもどうせ出来ることは一つか二つしかない。本当にやりたいことを見失わずに、やりたいことからやっていても、あっという間にある程度の歳になってしまう。夢は逃げない。逃げるのはいつも自分。だから、そこから掴め。


僕のやりたいことってなんだろうか。大学院を出てアメリカに行ったときには、「海外で暮らす」「英語を駆使して世界を相手に仕事をする」みたいな事が、なんとなくの目標としてあったのだけれど、「海外」とか「世界」とか、人括りで考えていたものについて、実感的な理解が深まるにつれて、それはぐっと身近になった。身近になったというのは、はすに構えて言うならば、つまりexcitingではなくなった、と言うことだ。

「海外でバリバリ」に対して、あのころのような憧れは無い。今も「ある特定の場所」に対する憧れはあるけれど、それは「海外」とひと括りにできるものではない。

で、じゃあ、やりたいことは?今現在、自分の時間の中で最も多くの割合を費やしているのは仕事だから、やっぱりやりたいことについて考えるときには、仕事のことが最初に頭に浮かぶ。「理想の仕事」って考えたときに、僕がいつも夢想する場面がある。

僕はあるチームに所属している。チームのメンバーは皆、僕よりもずっと優秀な人たちで、僕はいつも何とか追いつくために必死になっている。毎日、精一杯考えて、取りいれてアウトプットを何とか出して。やがて、自分が彼らに近づいていることが少しだけ実感できるようになる。そんな仕事に対して、僕はぼんやりとした憧れを持っている。だから、いわゆる「プロフェッショナル」たちの言葉を聞いたり読んだりすることが好きだ。こういう類の本を読むと、すごく勉強になった気がする。一方で、自分と(例えばそれが本であれば)著者との間にある圧倒的な差を思って、少しがっかりしたりもする。

でも、今日ボーっとそんなことを考えながらふと思った。そうか、ビジネス書を読むのは、つまりゴルフが好きな人がゴルフ雑誌を読むようなもので、ゴルフが趣味の人がプロゴルファーを目指そうなんて思っていないし、ただ自分が上手になることに喜びを感じているように、自分が成長していることを楽しめればいいじゃないか、と。そう考えると、日本人がビジネス書が好きなのも分かる。「そんな知識身につけたって、あなたがそれを使う機会なんてないのよ。だってあなたはそのレベルにいないから」みたいな、冷静で多分正しい意見を目にして、ちょっとゲンナリしたりするけれど、でもそうじゃないんだよね。ドライバーがまっすぐ飛ぶようになったら嬉しいように、何かができるようになる、自分が少し変わることが楽しく思えたら、それでいいんだな、と。

なんだか、この気づきはすごく嬉しくて、知らずに抱えてたプレッシャーみたいなものがすっと抜けていった感覚だ。自分の成長を楽しめる、そんな自分を忘れないでいたいと思う。