議論とは平行線を辿るもの

いつも考えさせられる宋文州さんのメールマガジンからの抜粋。

企業の中の議論は本来、共通の結論に到達しにくいものが多いはずです。その理由は立場と志の違いに由来するものです。人間に同じ立場と同じ志を求めることは無理なので自然に議論の限界も生じます。「話せば分かる」というのですが、「話しても分からない」こともあると理解しないといつまでも話だけで終わってしまうのです。与党と野党の話し合いは噛み合う訳がありません。菅さんに向かって「あなたがいるから与野党連合ができない」と叫んだ「政治記者」がいましたが、政治家音痴を晒したようなものです。与党と野党が合わないから選挙があります。リーダーシップとルールの多くは無駄な議論を避けるためにあるのです。

ここで話されていることとは離れてしまうけれども、現場で働く人間にとっては、マネジメントが目指している姿は見えていなくても良いのだと思う。見えていたい、と言う願望は分からんでもないが、それは野次馬根性とそこまで変わらないのではないか。自分たちの日々の仕事はマネジメントが描いた将来像への道の途中にあるものである。自分たちは目の前の仕事をただ一生懸命に考えながら片付けていくことが組織への貢献であり、その意味をいちいち考えているのは時間の無駄ではないか。

政治についてもしかりだと思っている。国民の役割は選挙で政治家を選ぶこと、選んだら後は選ばれた人たちに任せる、その結果が気に入らなければ次の選挙で違う選択をすればいい。それ以上に応援したいならば献金をすれば良いのだと思う。外からガヤガヤ言うのは何の意味もないのではないか。ガヤガヤ言いたい気持ちもわかるけれども。偉くなった気分になるし。

ともあれ、皆が納得する方向で、なんて言っているといつまで経っても何も決まらない、というのはビジネスの世界ではよくあるのだ、と言うことを心に留めておきたい。今は現場仕事に従事している身としては、ルールに則って動くことがほとんどなので、全員の同意の上で動くことが容易だけれども、マネジメントについてはそうはいかないだろう。