職人技

昨晩は子供が大泣きしてしまって、睡眠時間は5時間とちょっと。あれ程に大泣きするのを見るのは初めてだった。最初のうちは泣きたいだけ泣かせてあげたらいい、なんて思っていたけれど、実際に泣いている顔をみると、そうも言ってられなくなって来て、でも抱いていても泣き止むわけでもなく、焦ってしまったら子供に伝わってまた泣き止まなくなってしまうだろうと考えてしまって、まあどうしていいか分からなかった。

「団塊の世代の技術の継承がなされずに…」なんてストーリーを4、5年前によく聞いたような気がするけれども、そのまさに現場を目にしているような気持ちになる。長年の経験を持ったエンジニアの方の技術力を継承するのがいかに難しいことか、それを感じている。優秀なエンジニアでなければ体得できないような設計技術がある。がしかし、優秀な人間は同じ位置には留まれないものである。結果として彼には教え込むことは出来ない。じゃあ、ずっと残る人間は、というと、技術を継承するに適してはいなかったりする。結果として伝えていく相手がいない。じゃあ、文書化すればいいじゃないか、という話なのか。でも、文書化しても、そのフットワークの軽さまでは書き残せない。フットワークの軽さはすなわちその判断力の的確さが必要なのであって、それは経験と背中をみて学ぶことからしか得られないのではないかと思う。

素晴らしい技術である。その方の手を経て設計されたものをみると、エンジニアの仕事の醍醐味がそこに詰まっているように思う。すごく魅力的な仕事である。自分ができることなら継承者になれたら、なんて思ってしまう。しかし、仕事を選ぶというのは、それだけでは選べない。お金だって住むところだって全部ひっくるめて仕事を選ぶ、ということだから。

ただ、本当に心惹かれる仕事である。